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フリートウッド・ペリュー。フェートン号の艦長である。長崎襲撃時、わずか19歳の若者だった。国民的英雄である父ペリュー提督の強烈な身贔屓でこの若さで艦長に昇進したのだ。だが彼は父譲りの豪胆さと敢闘精神に溢れ、16歳の初陣ではバタビアのオランダ艦隊を少数の手勢で襲い、炎上させるという大勲功を打ち立てている。若さに似合わず歴戦の勇士だった。長崎港に潜むオランダ船を襲い、莫大な価値の積荷を奪うために遠路航海して来たが、水兵への数多くの鞭打ち刑など、父と違った冷酷さも秘めていた。それがやがて彼のキャリアに影を落としていく。
フェートン号襲撃時のオランダ商館長。23歳の若さで商館長になったドゥーフには、長崎奉行所(幕府)には絶対知られてはいけない重大な秘密があった。家康が朱印状を授与したオランダ共和国は、今はナポレオンの属国となって存在しないのだ。それがフェートン号の出現によって暴露される恐れがあった。商館閉鎖と国外退去という最悪の結末をどう回避するか?彼の知力を尽くした戦いが展開される。奉行松平図書頭の彼への信頼を武器に、奉行のフェートン号焼打ち阻止の画策が始まる。彼の商館日誌には親しい通詞たちもいつ彼を裏切るかわからない緊張の毎日が活写されている。
エドワード・ペリュー提督、当時英海軍インド洋艦隊司令長官。トラファルガー海戦でネルソンが戦死して軍神になる前は、彼こそが国民的英雄だった。今も海洋小説「ホーンブロワー」の主人公として名声を馳せている。貧窮の中に育ち水兵から叩き上げて提督まで昇り詰めた彼は、息子たちへの庇護愛と敵艦から奪った財宝(合法的に艦長に優先的に配分される)に並々ならぬ執着を見せる。念願の英国帰還が叶うと、後任長官の反対を押し切って次男フリートウッド・ペリューを日本遠征に旅立たせる。将来の提督への道、さらにはロンドン社交界で一流の名士になるための資金。長崎と行き来するオランダ船を襲えば、積載する莫大な富(銅だけでも現在価値で8億円以上)が手に入るのだ。