フェートン号の航海日誌(実物)

私とこの日誌の関係は、「フェートン号の航海日誌と、その背景に見える世界と日本」に書いた通りだが、その本物とようやく対面出来たのは2017年5月のことである。その時の様子は「フェートン号の襲撃」に詳しい(クリックしてください→https://shugeki.phaetonmuseum.com/stockdale-diary/)。保管状態も良く、研究者が訪れることもないのか、200年前の文書とは思えないほど文字も鮮明である。だが不思議なことがあった。全ページに渡って書き損じ書き直しの形跡が無いのだ。常時揺れている艦上、嵐の時には横倒しになりかねないほど傾くこともある筈なのに、まるでタイプライターのような乱れの無い文字列が続いている。この謎は、意外なことから解けた。英国のナショナルアーカイブス(国立公文書館)には複数の「フェートン号の日誌」が保管されている。
①ADM52/3853と②ADM52/4229である。どちらも1808年の長崎襲撃の期間をカバーしている。

ADM52/3853
ADM52/4229

どちらも入手したが、ADM52/3853は実は1808年ではなくて、1803年の日誌であった。手書きの1803と1808は紛らわしいので、データベース化した時に「1808年」と解釈して誤記したのだろう。この日誌の時期、フェートン号は本国艦隊に所属してカリブ海で活動していた。下が、1803年10月9日/10日の日誌である。

1803年10月9日/10日

ストックデールの書いた日誌に比べると、記述も少ないし、必要最小限の無いように見える。
一方で②ADM52/4229の日誌はどうか?カリブ海の日誌と比べるために1808年10月4日の日誌を見てみよう。

National Archives版 1808年10月4日

10月4日長崎襲撃の日だから記述は実に多い。だがカリブ海の日誌と比べると丁寧で緻密である。しかし同じ日付のフェートン号の日誌が2つ存在することになる。念のためふたつの日誌を比較してみよう。

長崎歴史文化博物館所蔵の日誌 1808年10月4日

二つの日誌の違いは明瞭である。National Archives版(以下NA版)のページの冒頭は事務的に ” Remarks on Tuesday the 4th October 1808 ” と書いてあるが、長崎歴史文化博物館所蔵の日誌(以下歴博版)の10月4日日誌の冒頭は ” Cruising off Japan “( 日本沖で遊弋中)と美麗な文字で書いている。この部分は航海中のLeg(航行区間)によって書き分けてあり、マドラスからマカオまでは ” From Madras towards China ” であり、マカオにおいては ” Broadway, Macow ” となり、マカオを出航して9月2日に初めて ” towards Japan Islands ” とJapanが明記される。そして10月4日の” Cruising off Japan “を経て5日/6日の ” anchor Nangasaki ” ( NagasakiではなくNangasakiと表記している)と「長崎」が明示される。これはフェートン号艦上ではなく、のちに整理してLegにそって行き先を書いたということだ。結論は歴博版は、清書であるということだ。次の拡大写真を見よう。

歴博版 9月24日

このページでは実直堅実なストックデールが遊び心を誘われたか、日付の上の欄になにやら装飾のデザインまで施しているのだ。常に揺れ動く帆船の上で出来る作業ではない。しかも本の表紙は羊皮紙でエンボス加工により ” Log of His Majesty’s Ship Culloden East Indies ” という表題が彫り込まれている。

なぜストックデールは、前に乗艦していた戦列艦Cullodenカロデンの日々から始まって、歴史的なフェートン号による長崎襲撃前後の日々をこのような美麗な形で清書したのか?全ページに渡って書き損じや書き直しが無いのだ。並外れた集中力と膨大な時間をかけて丁寧な作業をしたのだろう。その目的な何か? それを知るためには、ストックデールの経歴を確認せねばならない。
ストックデールは1804年6月22日にMidshipman士官候補生としてインドで海軍に入隊した。これは彼が裕福な家庭の生まれであることを示しているが、彼の生地や家族の情報は残っていない。Cullodenはエドワード・ペリュー提督が率いるインド洋艦隊の砲74門の3等戦列艦で、艦隊旗艦的な艦である。彼は1808年7月8日、Master’s Mate(航海士に相当する最上級下士官)に昇格し、歴戦のフリゲート艦フェートン号に配属された。この日の意味が分かるだろうか?フェー トン号がマドラスを日本へ向けて出航したのはその翌々日の10日のことである。この時は行き先はChinaで日本とは明かされていないが、大航海に出るフリゲート艦に配属されたことはストックデールをさぞかし高揚させたことであろうと思われる。Master’s Mateとしての彼の重要な役割はMaster’s Log、すなわちフェートン号の航海日誌を記すことだった。フェートン号の日誌は、翌7月9日、出航準備に忙しく、食料や水などが積載される様子から始まっている。
Cullodenで彼はその求められる能力を認められたのであろう。そのストックデールは最上級下士官として次は士官Lieutenantを目指さなけれならない。士官昇格のためには面接があり、その重要な資格要件が航海日誌なのである。士官Lieutenantに昇格するために清書したのが歴博版の航海日誌なのだ。この美しい日誌の仕上がりと、勤務ぶりが認められ、ストックデールは1812年5月8日(不正確)に昇格している。彼には、海軍入隊時以上の強いコネはなかったらしく、Master’s Mateから士官Lieutenantに昇格するまで丸4年近くかかっている。名門に生まれたネルソン提督や、父ペリュー提督の身贔屓を得たフリートウッド・ペリュー艦長は瞬く間に昇格したのに比べると実に対照的である。勝手な推測だが、ネルソンやフリートウッド・ペリュー艦長はこれほど緻密な航海日誌を完成させたとは思えない。
余談ながら彼はリタイアするまで士官Lieutenantのままであった。美しい日誌を生み出す実直丁寧な性格のために、海軍の中でのし上がっていくアクの強さに欠けたのかも知れない。https://shugeki.phaetonmuseum.com/stockdale-diary/

歴博所蔵版の表紙
1808年7月9日
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