Pellew家に見る英海軍

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父ペリューの華やかな軍歴
エドワード・ペリューは、1757年に生まれ、14歳で英海軍に志願、アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争に従軍、勇気と知略を兼ね備えた海軍士官としてメキメキと頭角を現し、出世の階段を登った。
Vaisseau-Droits-de-lHomme父ペリューの最も有名な海戦、フランス戦艦ドロワドロームとの戦い
当時の社会で国民的英雄だったことの証として、海軍物語として有名な「艦長ホーンブロワー」シリーズ(帆船時代の海戦に興味がある人の間では著名なシリーズ。作者はC.S.フォレスター)が1998年から2003年にかけてTVシリーズ化され、英米で放映されている時には、主人公のホーンブロワーがMidshipman(ミジップマン、士官候補生)として乗り組んだ軍艦の艦長として登場するほどである。言わば、ネルソン提督が救国の英雄として日本の東郷平八郎に例えるなら、エドワード・ペリューは実戦派の英雄として誰に匹敵するのだろう。山本五十六だろうか。そう考えると、日本海軍は日露戦争のあと、実戦を殆ど経験することがなかった海軍であることに気がつかされる。太平洋戦争においては、残念ながら名将は数えるほどしか見ることができない。山口多聞(ミッドウエー)、三川軍一(ソロモン沖海戦、またはサボ島沖海戦)、木村昌福(キスカ撤退作戦)ぐらいだろうか。
閑話休題。その国民的英雄のエドワード・ペリュー提督は、1805年に東インド艦隊の司令長官となり、1809年に地中海艦隊長官に転出している。ここに注目されたい。1808年のフェートン号の長崎襲撃は、父ペリューのもとで立案され実施された。息子フリートウッド・ペリュー指揮下のフェートン号がその任を担ったのは偶然でも何でもなく、息子に自分のような輝かしい軍功をもたらしたかった親心のせいである。
当時、英海軍内の昇進や立身出世はコネが幅をきかしていた。父エドワードは、若きフリートウッド、野心を隠そうともしない息子フリートウッドに、歴史に残る軍務と、もしオランダ船を捕獲した場合にもたらされる巨万の富を獲得する機会を提供したのである。
(この項目は編集中です)
ペリューの手紙長崎襲撃時のペリューの手紙

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